2012年10月24日

スコットランドの地質と地形

最近ニュースでスコットランド国民党(Scottish National Party)の党大会の様子が紹介されていた。スコットランドをイギリスから独立させることを目指しているらしい。スコットランドは平らなイングランドに比べると山がちで、その地形がアングロサクソンの侵入をこばみ、ケルトの影響が強く残る独自の文化を育んできた原因となっている(同じことはウェールズにも当てはまる)。スコットランドの場合、イングランドとは異なる地形の原因を、はるか30億年前までたどることができる。
 
スコットランドの北西部の地質は約30億年前にできたものである。そのころイングランドとアイルランドはまだ存在していなかった。イングランドの地質で一番古いのは20億年前である。そして、何より驚くべきことに、そのころスコットランド(+アイルランド北部)はローレンティア大陸(現在の北アメリカの大部分)にあり、ゴンドワナ大陸にあったイングランド(+ウェールズ・アイルランド南部)から7000km離れていたという。つまり地球のほとんど反対側にあったのだ。その後イングランド(+ウェールズ・アイルランド南部)はゴンドワナ大陸から切り離されてローレンティア大陸の方向へと移動していき、約4億年前のシルル紀にスコットランド(+アイルランド北部)に衝突して、ようやく現在のイギリス諸島(British Isles)の原型が誕生した。
 
イングランドがスコットランドに衝突したとき、イングランドが乗っているプレートはスコットランドの乗っているプレートの下にもぐりこんだ。このプレートの沈み込みがスコットランドに造山運動(カレドニア造山運動)を引き起こした。太平洋プレートがユーラシアプレートの下にもぐりこんでいる、今の日本列島のような状況ですね。スコットランドが山がちなのはこのときに高山が誕生したためである。
 
イギリスの地図を見るとスコットランドは、北東-南西方向に走る2つの境界線で3つの部分に分かれているように見える。すなわち、北の境界はネス湖のあるインバーネスとフォートウィリアムを結ぶ線、南の境界はエディンバラとグラスゴーを結ぶ線である。細かく地質年代を見ると、スコットランドの北部はさらに2つの部分に細分され、南の境界線は実はスコットランド低地帯という幅を持った地質帯であることがわかる。つまり、スコットランドは、5つの異なる地質帯からできていることになる。これら5つの地質帯の境界は古い断層であり、現在も地形からその痕跡をたどることができる。
 
これらの断層のうち、地図で見て一番明瞭なのはネス湖(Loch Ness)が位置する断層で、Great Glen Faultと呼ばれる(glenは谷を意味する)。ネス湖は体積でスコットランド最大(面積は第2位だが、最大水深が230mもある)の湖だが、巨大断層に水がたまったものである。細長い湖なので向こう岸がよく見える。右の岸辺にあるのはアーカート城(Urquhart Castle)。
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あと3つの断層はそれほどわかりやすくはない。ただ、等高線がある地図だと、スコットランド低地帯とその北にあるハイランドの境界(Highland Boundary Fault)もわりとわかりやすい。アバディーンの南にあるストーンヘイブンと、グラスゴーの西にあるアラン島の北端を結ぶ線である。この断層はグラスゴーの北でローモンド湖(スコットランドで最大面積)の中を横切っている。
 
ローモンド湖(Loch Lomond)のビジターセンターに下のような展示がある。赤い点線がHighland Boundary Faultで、北側(手前側)がハイランド、南側(向こう側)が低地帯である。断層なのに尾根や島の上を通っているのは不思議である。厳密には尾根や島の南側を通っているのではないだろうか?
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その断層上の尾根に行くとこのようである。まずは北側ハイランドの眺め。ハイランドといっても4億年かけて侵食されたので日本の感覚だと丘ですが。
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続いて南側の低地帯の眺め。
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尾根の下、島の向かいの岸辺から同様に。
まず北側。
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続いて南側。右端に島の斜面が見えてます。
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ラベル:ヨーロッパ
posted by なまはんか at 05:01| イギリスの自然 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年10月22日

チルターン丘陵の地質と地形

ロンドンの北西にあって南西~北東方向の帯状に伸びるチルターン丘陵の地質は、未固結の石灰岩(チョーク、白亜)である。白亜紀に堆積したときには地層は水平だったが、その後ロンドン平野が沈降したため、現在はロンドンに近い南東側が低くなるように傾いている。その地層の傾きを反映して、チルターン丘陵はロンドンに向かって緩やかに低くなっている(dip slope)。逆にロンドンと反対のAylesbury側は急斜面(scarp slope)をなして終わっていて、その急斜面の上が丘陵で一番高くなっている。
 
そのような場所のひとつIrving Beacon(標高233m)。一番奥に見える丘です。右(南東)側にチルターン丘陵が続いている。左(北西)側の平野はAylesbury Vale(谷という意味です、標高70~100m)。
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上の写真を見ると、Irving Beaconの右側に森で覆われた平坦面がある。このような丘陵の上の平坦面はチルターンのいたるところで見られ、その面上にはチョークの上に粘土分に富む黒っぽい堆積物が載っている。フリントの粒が混じっているのでclay-with-flintと呼ばれている。そういう場所の歩道は水はけが悪くびちゃびちゃしていることが多い。clay-with-flintのフリントはチョークに由来する。clay-with-flintの成因については、平坦面でチョークが風化・溶脱を受けた結果だという説(R. Forty, The hidden landscape)のほか、堆積物に外来性のものがあることから氷期にチルターンまで到達した大陸氷河によって供給されたという説(Wikipedia)もある。イギリス首相の別荘地Chequers Houseの敷地のすぐ外側にて(標高200m)。敷地内の別荘の前にヘリコプターがとまっていたのがいかにもだった。イメージ 8
 
チルターンの最高地点(267m)はWendoverの北東にあり、Aylesburyの町に落ち込む急斜面の上の平坦面にあり、平らな丘の上は森林に覆われ眺望はまったくない。いちおう山頂(Chiltern Summit)を示す石碑が建っている。
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Wendoverの北にあるHaltonという集落(parich、行政教区)の地図。集落は丘陵のふもとにあり、ふもとの平野(地図の左上部分、標高110~130m)には牧場や畑が広がる。丘陵の上(右下部分、チルターンの最高点を含む)は薪などを採取する里山として利用された。このように地形に対応した土地利用をし、集落の範囲もそのような土地利用を反映して決定されていたため、細長い形(strip parish)になっている。
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丘陵上の平坦面以外はチョークが地質の一番表層にある。Wendoverの町外れの畑(標高160m)。白く見えているのがチョークの固まり。
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近づいてみるとこんな感じ。校庭に白い線を引く石灰の固まりのような感じ。
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サウス・ダウンと同じようにフリント(火打石)がチョークの中に混じることもある(https://vegetation.seesaa.net/article/a14182595.html)。真っ白なチョークが崩れ落ちている斜面に黒っぽいフリントが埋まっている。Princes Risboroughの東にあるWhiteleaf Hillにて。イメージ 5
 
Princes Risboroughの北にある村Ellesboroughにはフリントでできた教会があった。
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Princes Risboroughの町の中にかつて道しるべとして使われていたという奇妙な石がある。干しぶどうが入ったプデイングに似ているのでPudding stoneという。Pudding stoneは礫岩(conglomerate)の一種で、その成因はさまざまだが、イングランドのこの地方で見られるものは、チョークから侵食されて流出したフリントが水の中でもまれて丸く磨耗した後に、ケイ素分の多いマトリックスに覆われて固まったものだそう。
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ラベル:ヨーロッパ
posted by なまはんか at 04:26| イギリスの自然 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年10月19日

ノース・ダウンとダウン・ハウス

ロンドンの南にあり、東西に伸びるチョーク(chalk、未固結の石灰岩、白亜)の丘陵地帯をノース・ダウン(North Down)という。ダウンというのは古い英語で丘を意味する(https://vegetation.seesaa.net/article/a13639423.html)。ロンドンの北にあるチルターン丘陵と同様、ロンドン市民が週末にハイキング・サイクリングなどを楽しむ場所となっている。
 
そのような場所のひとつがBox Hill。標高200mほどの丘である。西側はふもとを流れる川(River Mole)に浸食されチョークの崖(the White)となっている。サイクリングの場所として人気があり、オリンピックの自転車競技会場となった。
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ノース・ダウンの南の堆積岩地帯(Weald)にあるLieth HillからBox Hillを見たところ。写真中央付近にthe Whiteが見える。Box Hillの向こうにはロンドンの高層建築が見える。
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Box Hillの名は自生するツゲの木(box tree)に由来する。イギリスに3か所しかないツゲの自生地(https://vegetation.seesaa.net/article/a13649067.html)のひとつだが、ツゲの生えている場所はごくわずかで個体数は多くない。岡の上の平坦部にはブナの大木の林がある。イメージ 3
 
遊歩道を歩くとチョークの中からフリント(flint)と呼ばれる石が路面に露出しているのがわかる。フリントはチョークが形成される過程で珪素分が集まってできる石で、非常に硬い。日本語にすると火打石になるらしい。チャートの一種だそうな。イメージ 9
 
フリントを拡大してみるとこんな感じ。真っ白ではなくて黒い部分もある。なんとなく牡蠣の貝殻に似ている。
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ダーウィンが死ぬまでの40年間を暮らした家もノース・ダウンにある。その家のある村の名前はDowneであり、これはまさにノース・ダウンのダウンに由来する。そもそもダーウィンが住み着いたとき(1842年)には村の名はDownであったが、アイルランドにある同名の村と区別するために1850年代にDowneとなったという。ダーウィンは自分の家をDown Houseと呼び、村の最初の名前をそのまま使い続けた。下がDown Houseの写真だが、いかにも「Down Houseな」特徴に気づきますか?
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答えは家の周りの塀でした。塀の下のほうにはレンガでなくて石が使われているが、これはフリント。ノース・ダウンでもチルターンでも、家の壁にもよく使われている。Down House本体は白く塗られているのでフリントが使われているかどうかはわからなかった。
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Down Houseは村の中心からやや離れていて、周囲には畑が広がる。その畑の土の中にもフリントがゴロゴロしている。
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Downeの村で見かけた建物。レンガとフリントの使用割合はいろいろ。一つ目はレンガのほうが多い例。
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その一軒おいて隣はフリントのほうが多い例。これは昔の学校で、今はvillage hallとして使われている。
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その向かいにはほぼフリントだけでできた教会St Mary the Virgin Churchがある。庭にはダーウィンの妻エマの墓がある。ダーウィンの墓はウェストミンスター寺院にある。
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ブリテン島の地質は西や北に行くほど年代が古くなる。南北ダウンやチルターンの石灰岩は白亜紀にできた未固結のチョークであり、建築材にはなりえない。イングランド南西部のコッツウォルズ丘陵まで行くとジュラ紀の硬い石灰岩になり、建築材として使われる(https://vegetation.seesaa.net/article/a14305534.html)。これがコッツウォルズの有名な「蜂蜜色の石」であり、屋根まで板状の石灰岩で葺いてある。白亜紀(約1億4300万年前~約6500万年前)とジュラ紀(約2億1200万年前~約1億4300万年前)で石灰岩がそんなに違うというのは不思議な気がするが、ジュラ紀(大雑把に言って2億年前)のほうが白亜紀(1億年前)の2倍近い昔だと考えればわかる気もする。
ラベル:生物学
posted by なまはんか at 03:59| イギリスの自然 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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