2011年02月12日

鹿児島市城山

毎年、学生実習で鹿児島市内中心部にある城山(「しろやま」と読む)に行く。標高107mの「丘」で、立派な遊歩道(もともと自動車道として建設されたのでやたら広い)も整備されているので手軽に登れる。60万都市の中心部にありながら、原生的な森林がよく残っている。大正時代に東北帝国大学で植物学を教えたオーストリア出身のドイツ人ハンス・モーリッシュは1924年(大正13年)12月にここを訪れている。その時のことが 、「植物学者モーリッシュの大正ニッポン観察記」(草思社・瀬野文教訳)に短く書かれている。
 
モーリッシュが見た植物名がいろいろ書かれているが、そのほとんどは現在でもふつうにみられるもので、100年近くたっても植生はほとんど変わっていないことが推察される。ただ、訳者あとがきに「植物学とはほとんど無縁といってもいい訳者」「ラテン語で記載された動植物の名前を調べるのが一苦労」とあるとおり、植物名は植物学者が見るとやや頼りない。ラテン語の学名をそのまま載せていれば植物学者にはわかりやすいのだが、一般の読者には不要なので、致し方ない。以下の一節の「寄生菌類」は「寄生植物」の誤りではないかと思われる。城山のふもとに植えられているツバキにヒノキバヤドリギが大量に寄生(正確には半寄生)しているのが今でも見られる(鹿児島大学の構内にも多い)。
この山で驚かされたのは、寄生菌類がたいへん多いことであった。この寄生菌類は日本の中部・北部地方では、椿とヒサカキの2種類のみに寄生するのであるが、ここではこの他にマテバシイ、シロダモ、ガマズミなど数多くの常緑樹の葉上にさまざまな形で見られたのである。
城山は国指定の天然記念物である(1931年=昭和6年指定)。「東南アジアから日本南部に広がる暖温帯常緑広葉樹林典型的な極相林の景観があり」、「原始林の姿が残っている」とされる(「かごしまの天然記念物データブック」南日本新聞社)。森林の最上層を形成するのはクスノキである。モーリッシュも次のように書いている。
とくに目につくのが楠で、多くが百年以上の樹齢を重ねていると思われる。
現在では、クスノキのいくつかは枯れ始めていて、城山を遠くから見るとクスノキの枯れ枝が突き出ているのが目立つ。クスノキが枯れた原因には戦後の混乱期の火災などもあるようだが、老化という側面もあるのではないかと思う。クスノキはスギなどの針葉樹と同様の長命な先駆種(陽樹)であろう。森林の遷移が進むと下層から成長してくる極相種(陰樹)との競争で、徐々に樹冠の広がりを抑制され、光合成と呼吸のバランスが崩れていくのであろう。そうして成長が悪くなっていくと、幹の肥大成長によって更新される形成層の維管束の更新速度も低下し、樹体内の物質移動などが停滞していくのではないかと思われる。ここでは、このようなことを老化と言っている。
 
黎明館の駐車場から見た城山。クスノキの枯れ枝が突き出ている。2011年7月撮影。
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陽樹であるクスノキが優占しているということは、城山は老齢二次林なのである。島津氏が1604年に城山のふもとに鹿児島城(鶴丸城)を築いてからは保護されているが、それ以前はどうだったかわからない。日本の平野部にある森林の常として里山的な利用をされていたに違いない。現在見られるクスノキの大木は、鹿児島城築城とともに植林されたものでさえあるかもしれない。現在あるクスノキがなくなってタブノキに置き換わったときに初めて本当の極相林とよぶことができるだろう。
 
城山が400年間保護されてきた原生的な森林であることは事実で、その重要性に異議はない。ただ、厳密には「原生林」ではなく「老齢二次林」なので、天然記念物としての意義づけは現代の植物生態学の見地から見ると不正確である。クスノキを極相種とみなす誤りの原点は、常緑広葉樹林(照葉樹林)帯を「クス帯」と呼んだことにさかのぼる(だれがそう呼んだか調べきれていない)。社寺林の植生がそのままを原生林を反映していると考えたのであろう。「日本林学界の巨星」本多静六はその誤りを「日本森林植物帯論」(1900年=明治33年)で以下のように指摘している。
樟(クス)は・・・大なる天然林を見ることなく多くは人工によりて造林せしものなり。・・・九州四国地方に於ては古来此樹を保護して社寺の風致装飾用となせり・・・暖帯に名くるに樟帯なる名称を用ゆるは穏当ならず。
城山の尾根沿いの遊歩道沿いにモミが一本あったのだが、2007年に枯れてしまった。自生したものではなく、ヒトが植えたものであろう。2007年11月撮影。
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2011年11月8日に学生実習で城山に行ったときには、上のモミの枯れ木は伐採されて切り株だけになっていた。幹の外側はもう腐り始めていて正確にはわからないが、年輪を数えると樹齢は50年程度と思われた。もしそうだとすると天然記念物に指定された1931年より後にだれかが植えたことになる。
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後記1:その後、1932年(昭和7年)に出版された天然記念物調査報告を見てみた。中井猛之進(当時東大教授、小石川植物園園長、1943-45年にはボゴール植物園長)が天然記念物指定の年、1931年3月に調査したものである。そこには「シイノキとクロマツを主要樹とする」と書かれている。今ではクロマツは見当たらないので、それから80年たつ間に遷移が進んでなくなってしまったのかもしれない。
 
後記2:「植物学者モーリッシュの大正ニッポン観察記」の原書「Im Lande der aufgehenden Sonne」(1927年刊)を見てみた。「parasitischen Alge」なので「寄生菌類」ではなく「寄生藻類」で、その学名はMycoidea parasiticaと書かれている。「寄生藻類」とは今では使わない言葉だが、葉上着生(epiphyllous)藻類のことだろうか?
 
後記3:さらに調べると、Mycoidea parasiticaは現在ではCephaleuros virescensと呼ばれているらしい。やはり、緑藻(Chlorophyta, green algae)の1種で、水中では見つかったことがない気生藻(aerial algae)である。Cephaleuros属は、さまざまな植物の葉・果実・枝・幹などに着生し、時には寄生し、さらに時には菌類と共生して地衣となる。葉に寄生する場合は、白藻病(algal leaf spot、また、red rustやalgal rustとも呼ばれる)という斑点が葉にでき、しばしばオレンジ色(緑藻なのに・・・)を呈する。通常は大した被害はない(この場合は寄生というより着生であろう)が、グアバにつくCephaleuros parasiticusでは、斑点の中央部の葉組織が壊死する。素人目には、菌類による病気と区別がつかない。身近なところにも、私たちが気づかないだけで、変な生き物がいるものだ・・・
 
大学構内で撮影したタイサンボクの葉。縁だけオレンジ色になった灰色の斑点がCephaleuros virescensと思われる。2011年2月28日撮影。
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ラベル:生物学
posted by なまはんか at 07:57| 覚え書き | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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