2013年06月07日

里山=山谷村

四手井が一般向けの書籍で初めて「里山」という言葉を使ったのは、1974年刊の『もりやはやし』においてである。四手井は晩年に里山=農用林という定義に固執したが、このときすでに以下のように述べている。
 
 …里山は農用林といわれ、林業の用に供されたというよりも農業の犠牲林であったといったほうがよいであろう。
 
では、里山(=農用林)と農地を合わせた農村のことはなんと呼べばいいのだろうか?四手井は以下のようにも書いている。
 
 …里山と農地という物質の流れをともなった人工生態系…
 
現在では、多くの人が里山を日本の伝統的な農村景観を意味する言葉として使用しているが、狭義には里山とは農村の中の森林で覆われた山の部分(里山林)を指し、農地は含まない。文字面から受ける印象では、平坦地に成立する水田を里山に含めて呼ぶのはおかしいように感じる。
 
川喜田二郎は、1960年に刊行された『日本文化探検』所収の論考「山と谷の生態学」で、水田と森林が隣接する日本の日本の伝統的農村=里山の空間構造が、日本独特の地形からもたらされた可能性を指摘している。当時は里山という言葉はまだ一般に流布していなかった。
 
 …林野は、少なくとも水田に適さない傾斜地があったればこそ護られてきたのである。逆に水田とその肥沃度は、林野によってこそ保たれてきたのである。山と谷と村とは、こうして緊密な生態学的体系をなし、そこに日本人的生活様式のもっとも伝統的なものが育ったのであった。
 
そして、このような日本独特の「林野と水田という生態的結合」を指す言葉として、その基盤となる地形に着目し、「山谷村」という言葉を用いている。
 
 …日本には山も平野もない。あるのは「山=谷」のみである。
 
「山谷村」は、農村景観全体を指す言葉としては「里山」より適している。しかし、「山谷村」という言葉には、人の営みによって維持されてきたというニュアンスは感じられない。その意味では人間くさい「里山」のほうが、イメージを喚起させやすく、それゆえ一般に受け入れられたのだろう。
 
 
ラベル:生物学
posted by なまはんか at 22:42| 覚え書き | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年06月01日

里山

「里山」は、日本の農村にある二次林を指す言葉としてすっかり定着しているが、一般的に用いられるようになったのは比較的最近のことらしい。特に京都大学農学部林学科森林生態学講座の初代教授(前任教授から講座を引き継ぐときに造林学講座から改称)であった四手井綱英が「農用林」を表す言葉として使い始めて、広く使われるようになったようだ(『森林はモリやハヤシではない』)。吉良竜夫も里山は四手井の造語らしいと書いているそうだ。
 
四手井自身は、自分で思案してこの言葉を思いついたと回想しているが、昭和初期に東北地方で深山・奥山に対する言葉として広く使われていた言葉であるらしい(有岡利幸『里山II』)。四手井は京都大学に移る前、秋田営林局(東北地方が管轄)に勤務しており、そのときにこの言葉を耳にしていたはずだという。江戸時代の秋田藩の文書や、1950年代に発刊された秋田営林署の機関誌でも、「里山」という言葉が使われているらしい(岡本徹 in 須賀丈ほか『草地と日本人』築地書館)。なので、四手井が里山という言葉を造語したというのは、勘違い・錯覚である可能性が高い。
 
四手井の意図は、林学で通用していた「農用林」が一般の人にはわかりにくいのを、易しい表現に変えようというものであった。なので、農業と直接の関係のない薪炭生産専用林を里山に含めることに四手井は反対している(『森林はモリやハヤシではない』)。そして、中国・ネパールには里山はあるが、東南アジアやヨーロッパにはないと述べている。
 
しかし、今では里山という言葉は、農用林だけでなく、薪炭林も含めて「漠然とした一般用語として村里の裏山程度に思って使われて」いるのが実態であろう。研究者の間でも、薪炭林はもちろん周辺の農地なども含めた景観として里山という言葉を用いるのがふつうである。大住・深町の定義では「日常生活および自給的な農業や伝統的な産業のため、地域住民が入り込み、資源として利用し、攪乱することで維持されてきた、森林を中心としたランドスケープ」ということになる。このような一般的な定義にすると、里山は日本独自のものではないことになり、ほとんど「山村景観」というような言葉と同義になってしまう。
 
農用林とは、農地に肥料を供給するための芝(「刈敷」)を採取するための二次林である。日本の里山では、農地と森林が隣接していることが多いが、これは農用林の機能を考えると合理的であり、四手井はこのことをヨーロッパの農村(農地と森林の間に放牧地が挟まる)と比べた時の日本の里山の特徴だと指摘している。しかし、そのような機能的な解釈には、私は疑問を持つ。むしろ日本の急峻な地形の制約がそのような土地利用をもたらしたと考えるべきだろう。日本では農地はふつう水田であり、川沿いの平坦な沖積地やその周辺の緩傾斜地を棚田にして利用する。その背後は台地や山地の急斜面となるので、水田にしようがなく、森林のままとして利用するほかはない。日本で農地と森林が隣接することの一番の理由は、このような地形の制約だと思われる。このことは川喜田二郎も指摘している(里山という言葉は使っていないが)。これに対しヨーロッパでは一般に地形がなだらかなので、大規模な牧場が延々と続き、森林が混じることはほとんどないのだろう。
 
四手井は「ヨーロッパで日本の里山的な景観を強いて求めるなら、英国ではなかろうか」と述べている。大陸と違って牧場の規模が小規模で、牧場の中に生け垣などの樹群があり、針葉樹の小規模な植林もある。特にスコットランドのローモンド湖周辺が日本の景色に似ているという。
 
私の感想では、大陸氷河に浸食されたなだらかな地形のローモンド湖周辺( https://vegetation.seesaa.net/article/a14206394.html)はむしろ典型的にヨーロッパ的で、ロンドン近郊のチルターンやウェルドあたりの景観がむしろ日本の里山を思わせた。特にチルターンでは、台地の縁の急斜面は放牧場ではなく森林になっている場所が多く(https://vegetation.seesaa.net/article/a14195536.html)、その下の緩斜面に大麦畑(輪作するので別の年には牧草地になっているかもしれないが)がある場所なども見た。 イギリスでもヨーロッパの他国と同様に、森林は農用林という側面(放牧地の柵の供給など;https://vegetation.seesaa.net/article/a14365848.html)よりも、材や薪の供給(ロンドンへ)という林業用という側面の方が大きいだろう。イギリスでも地形の制約がある場所では農地と森林が隣接することがありうるのである。 
 
ラベル:生物学
posted by なまはんか at 14:08| 覚え書き | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年01月16日

生半可な学者

なぜだか気に入るフレーズというのがある。
 
「泥のように眠る」とか。
「畏友xx君」とか。
 
まあ、ふだん生活していて使う機会はなかなかないですが。
 
本や映画のタイトルでもそういうのがあって、内容は大したことはなくてもタイトルだけはいつまでも覚えていたりする。
 
そのひとつが「生半可な学者」。
 
元本は柴田元幸、白水社、初版は1996年。内容は50編あまりのエッセイをまとめたもので、「生半可な学者」はそのうちの1編のタイトルであり、このタイトルが内容を代表しているわけではない。あとがきによると、「それぞれの文章につけた題名のなかから、書名としても一応それらしいやつを選ぶことにした」という経緯らしい。著者は東大の教員なので、そういう意味では著者の自虐的な自己紹介になっているのだが、そのことは著者の意識にのぼったのだろうか?後でつけくわえられたあとがき(Uブックス版によせて)には「教師業から生まれた嬉しい副産物」と書かれている。
 
私自身は、自分を表すのにこれ以上の言葉はないと思ってたいへん気に入った。このエッセイはいま読み返してもおもしろいけれども、やはり大学教員であった土屋賢二のエッセイ集と共通する笑える(爆笑、または微苦笑)おもしろさであって、感動する(心揺さぶられる、泣く)ような深いおもしろさではない(funnyではあるがinterestingではない)。
 
そんなわけで、ペンネーム?は「なまはんか」になってます。
 
タイトルもよくて内容もよかったのは、「存在の耐えられない軽さ」の映画かなあ。原作の小説は読んでないけど。最近の映画は英語タイトルをそのままカタカナにしたのが多くて殺風景ですね。昔のヘビメタバンドのアルバムタイトルの邦題もあれはあれでどうかと思うが(マイケル・シェンカーの「神」とか)。
 
白水社Uブックスには、そのほか「ライ麦畑でつかまえて」「聖なる酔っぱらいの伝説」(これも気に入ったフレーズ、映画もよかった)などがある。
 
 
posted by なまはんか at 22:44| 覚え書き | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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