2011年03月23日

イスノキ

大学構内でイスノキ(マンサク科)が咲いている。イスノキは照葉樹林の優占種のひとつ。本州では照葉樹林の優占種というとカシ類・シイ類・タブノキが代表的だが、九州の山地ではイスノキの優占度が高い。屋久島では花山歩道入口・白谷雲水峡など標高500~900m付近でイスノキの優占する森林が見られる。カシ・シイ・タブと同様の大木になるが、生け垣に仕立てると小さいままでも開花する。大学構内でも樹高2m直径1cm程度で開花している。屋久島ではそんな小さな個体が開花しているのは見たことがない。イスノキは成長が遅いので、イスノキの大木がある森林は原生林に近いと考えてよいだろう。逆にカシ・シイ・タブは成長が速いので、これらの木の大木があったとしても、その森林が原生的かはわからない。
 
『日本の野生植物』によると、花序の構造は,以下のとおり。くどいけれども、「外見上の花」と「本来の花」を区別するために言葉をかっこで補ってみた。

総状花序は・・・上部に(外見上の)両性花、下部に(外見上の)雄花をつけるか、すべて(外見上の)雄花をつける。・・・(外見上の花に)花弁はなく、4-8枚の雄蕊と1本の雌蕊からなるが、(外見上の)雄花では雌蕊を欠く。この(外見上の)花は萼片が本来の包葉で、本来の萼と花弁とを欠き、1枚の萼片と数本の雄蕊とで1個の(本来の)雄花、1枚の萼片と雌蕊1本で1個の(本来の)雌花であり、外見上1個の花と見えるのは数個の花からなる複合花と考えられている。

この記述をもとにすると下の写真は以下のようになる。
外見上の両性花:緑の○で囲った部分
外見上の雄花:青の○で囲った部分
本来の雌花:赤の○で囲った部分。雌蕊は2本の花柱からなる。
本来の雄花:黄色の○で囲った部分。葯は赤色。

イメージ 1
この写真で青の丸で囲ってある「外見上の雄花」には「外見上の萼片」=「本来の包葉」が2枚あるので、「外見上の雄花」は「本来の雄花」が2つ集まったものであろう。
ラベル:生物学
posted by なまはんか at 16:31| 日本の(で見た)植物 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年02月20日

クスノキ

クスノキは社寺林などに多く植えられ、日本の文化に深く結びついた樹木である。しかし、クスノキが古来日本に自生したものがどうかははっきりしない。平凡社『日本の野生植物』でも「日本では本州・四国・九州の暖地に見られるが、これが野生かどうかはわからない。」とある。
 
飛鳥時代(仏教が伝来した西暦552年から平城遷都の710年まで)に作られた木彫仏像はすべてクスノキ製である(小原二郎『日本人と木の文化』)。ただし、平安時代以降はヒノキが主流となる。
 
江戸時代にはクスノキから生産される樟脳が、日本からオランダへの輸出品として銅についで重要であった。1821年10月17日、出島オランダ商館長ブロムホフは日記に以下のように記しているという(西和夫『長崎出島オランダ異国事情』角川叢書)。
日本から輸出する樟脳の風袋引き(重量計算)を行い、(長崎の町にある)薩摩藩の倉庫から一番船に183樽、二番船に112樽の樟脳を積み込んだ。
樟脳(ドイツ語でcamphre、英語でcamphor)は医薬品・香料・防虫剤として用いられるらしいが、オランダに輸出された樟脳は何に使われたのだろうか?医薬品としては強心剤として使われたこともあったそうで、「カンフル剤」という言葉がその名残だという。クスノキの学名はCinnamomum camphora、英名はcamphor treeである。
明治時代になってセルロイドが発明されると、その原料として需要が高まり、1903年から専売公社による樟脳専売制度が日本全土に施行されることになる。日本の植民地であった台湾にはクスノキのプランテーションがあったという。
 
日本の巨樹の多くもクスノキが占める。環境省の主幹の周囲長を基準にした巨樹調査では上位20位のうち、14本がクスノキである(残りはカツラが3本、スギが2本、イチョウが1本)。一位は鹿児島県姶良市(旧蒲生町)の蒲生八幡神社のクスノキである(主幹周囲24.2m、樹高30m、下の写真は1999年に撮影したもの)。http://www.kyoju.jp/data/
イメージ 1
ラベル:生物学
posted by なまはんか at 11:26| 日本の(で見た)植物 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ハゼノキ

『植物学者モーリッシュの大正ニッポン観察記』によると、鹿児島に向かう列車からモーリッシュはハゼノキを見た。
福岡の郊外、村の近くにさしかかると、蠟の木の群れがあらわれる。街道の両端や畑の畦、道端や丘の斜面にたくさん植えられている。・・・この木の石果(核果)から脂をとり、これが蠟の生産に用いられるのである。
原書を見ると、「蠟の木」の学名はRhus succedaneaとなっているので、確かにハゼノキである。そして、鹿児島の山川町で撮影された、たわわに実をならせ落葉したハゼノキがシュロと一緒に写っている写真が載っている。
 
鹿児島では江戸時代に盛んに栽培されていて、その果実は「薩摩の実」と言われていたらしい。ろうそくの原料であった。屋久島でも秋の紅葉が目立ち、人里近くにたいへん多い木である。
 
林芙美子 『浮雲』では、ハゼノキがベトナムで栽培されていたことが書かれている。ただし、実から蠟をとるためなく、樹液から漆を採るためである。
漆は、学名をルス・サクシーダナと云い、我国ではハゼの樹であり、・・・戦時中は日本でも品不足で、争って安南漆を輸入していた。・・・農民は掻き取った生漆を、町の市場に持って行って、そこで仲買人に売るのであった・・・
以下、Wikipediaより。
日本への渡来は安土桃山時代末の1591年(天正19年)に筑前の貿易商人 神屋宗湛島井宗室らによって中国南部から種子が輸入され、当時需要が高まりつつあったろうそくの蝋を採取する目的で栽培されたのがはじまりとされる。その後江戸時代中期に入って中国~沖縄を経由して、薩摩でも栽培が本格的に広まった。薩摩藩は後に1867年(慶応3年)年のパリ万国博覧会にはこのハゼノキから採った木蝋(もくろう)を出品している。
なお今日の本州の山地に見られるハゼノキは、この蝋の採取の目的で栽培されたものの一部が野生化したものとみられている。
ラベル:生物学
posted by なまはんか at 11:00| 日本の(で見た)植物 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

広告


この広告は60日以上更新がないブログに表示がされております。

以下のいずれかの方法で非表示にすることが可能です。

・記事の投稿、編集をおこなう
・マイブログの【設定】 > 【広告設定】 より、「60日間更新が無い場合」 の 「広告を表示しない」にチェックを入れて保存する。