2011年02月20日

ハゼノキ

『植物学者モーリッシュの大正ニッポン観察記』によると、鹿児島に向かう列車からモーリッシュはハゼノキを見た。
福岡の郊外、村の近くにさしかかると、蠟の木の群れがあらわれる。街道の両端や畑の畦、道端や丘の斜面にたくさん植えられている。・・・この木の石果(核果)から脂をとり、これが蠟の生産に用いられるのである。
原書を見ると、「蠟の木」の学名はRhus succedaneaとなっているので、確かにハゼノキである。そして、鹿児島の山川町で撮影された、たわわに実をならせ落葉したハゼノキがシュロと一緒に写っている写真が載っている。
 
鹿児島では江戸時代に盛んに栽培されていて、その果実は「薩摩の実」と言われていたらしい。ろうそくの原料であった。屋久島でも秋の紅葉が目立ち、人里近くにたいへん多い木である。
 
林芙美子 『浮雲』では、ハゼノキがベトナムで栽培されていたことが書かれている。ただし、実から蠟をとるためなく、樹液から漆を採るためである。
漆は、学名をルス・サクシーダナと云い、我国ではハゼの樹であり、・・・戦時中は日本でも品不足で、争って安南漆を輸入していた。・・・農民は掻き取った生漆を、町の市場に持って行って、そこで仲買人に売るのであった・・・
以下、Wikipediaより。
日本への渡来は安土桃山時代末の1591年(天正19年)に筑前の貿易商人 神屋宗湛島井宗室らによって中国南部から種子が輸入され、当時需要が高まりつつあったろうそくの蝋を採取する目的で栽培されたのがはじまりとされる。その後江戸時代中期に入って中国~沖縄を経由して、薩摩でも栽培が本格的に広まった。薩摩藩は後に1867年(慶応3年)年のパリ万国博覧会にはこのハゼノキから採った木蝋(もくろう)を出品している。
なお今日の本州の山地に見られるハゼノキは、この蝋の採取の目的で栽培されたものの一部が野生化したものとみられている。
ラベル:生物学
posted by なまはんか at 11:00| 日本の(で見た)植物 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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