2011年02月12日

林芙美子と屋久島

屋久島ゆかりの文学者というと林芙美子。
小説『浮雲』(1949年11月~1951年4月に雑誌に連載?)の「屋久島は月のうち、三十五日は雨」というフレーズが有名。
次のような文章を「青空文庫」で見つけた。
作者の死後50年が経過し、著作権が切れた作品をインターネット上に公開しているものだそう。
 
『屋久島紀行』(1950年7月発表)
 
この作品では「一ヶ月三十日は雨」というやや控えめな表現になっている。紀行文という性質上、当時(発表年月や寒さのために小杉谷に行くのをあきらめたという記述から察するに1950年の1~3月ぐらいか?)の屋久島の様子を知るうえで小説よりは資料としての価値が高いだろう。そのわりには知られていないのではないかと思う。このようにインターネットで簡単に見ることができるというのは便利である。
 
しかし、屋久島に住んでいる人や、何度も行ったことがある人なら、これらはあまりに誇張しすぎた表現であると感じるだろう。特に夏から秋にかけては晴天が続くことが多い。屋久島測候所で1999年から2008年の間、0.5mm(雨量計で記録可能なの最小降水量)以上の日降水量が記録されたのは、3653日のうち1764日である。30日あたりに換算すると14.5日が雨となる。なので、現実には、人が住んでいる低地では、雨が降るのは1か月に15日、2日に1日だけである。
 
気象庁の観測データは、ホームページに公開されていて、だれでも無料で利用できる。これまたたいへん便利である。http://www.data.jma.go.jp/obd/stats/etrn/index.php
 
林芙美子が死去したのは1951年6月(享年47歳)なので、『浮雲』も『屋久島紀行』も最晩年の作品である。、1949年11月に『浮雲』の連載を始めてから1950年早春に屋久島に取材に行き、1951年4月に完結、そのわずか2か月後に亡くなったことになる。「花の命は短くて苦しきことのみ多かりき」という句を好んで色紙などに書いたという。母の郷里桜島の古里温泉にその句碑が建つ。
 
後記:関川夏央『女流:林芙美子と有吉佐和子』(集英社2006年)によると林芙美子が屋久島に行ったのは1950年4月である。帰路には母の郷里桜島に寄ったとある。
 
ラベル:生物学
posted by なまはんか at 08:20| 覚え書き | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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