2010年11月25日

日系アメリカ人の受難

英語教室の論文(capstone thesis)を書くのに調べたので、ちょっとだけ日系アメリカ人の受難の歴史について書いておきたい。太平洋戦争開戦後、アメリカ政府は、西海岸に住むすべての日系人を10か所の強制収容所に押し込めた。第二次世界大戦で、アメリカは日本だけでなく、ドイツ・イタリアとも戦ったのだが、このような集団収容は日系人だけが対象とされた。非白人(people of color)に対する差別がその背景にあったというのが、歴史学者の間の定説のようだ。1988年には、アメリカ政府は誤りを認めて謝罪し、生存する収容者に補償金を支払っている。
 
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これが私が読んだうちで、一番心動かされた本。17歳のときに家族とともに強制収容所に送られた女性の回想記。表紙の写真は著者の家族ではないが、この写真は日系アメリカ人の悲劇をよく表している。1942年に撮影された写真で、日系人の家族が居住地のシアトルから収容所へと出発するところである。アメリカ国旗を持つ少年は日系2世。アメリカ生まれのアメリカ育ちである。アメリカは出生地主義をとっているので、少年はアメリカ市民(citizen)である。しかし、アメリカ政府は彼ら日系2世を「非外国人(non-alien)」という奇妙な言葉で呼び、その親の1世(日本から移住してきた世代、ふつうは日本国籍のままのalien)とともに強制収容所に送った。少年は自分が生まれた国、自分の愛する国、アメリカの国旗を持っている。しかし、そのアメリカに少年は「非外国人」として拒絶されたのである。
 
10か所の強制収容所のうちのひとつがあった場所、カリフォルニア州、シエラネバダ東麓のオーウェン砂漠にあるマンザナールに立ち寄ったことがある。これが復元された監視塔(guard tower)。
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マンザナールの墓地の写真はこちら。
ラベル:北アメリカ
posted by なまはんか at 11:18| Comment(0) | 日系アメリカ人の受難 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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