2013年02月10日

イギリスの下宿

イギリスでは、キュー植物園近くの老婦人の家の一室を間借りしていた。
キュー植物園には世界中から研究者が訪問するので、部屋を貸してくれる周辺地域住民のネットワークを築いていて、滞在予定を知らせると部屋斡旋の担当者が手配してくれる。
 
キッチンとバスルームは大家さん(およびもう一人の下宿人)と共用であった。キッチン用品は自由に使わせてもらえたが、さすがに炊飯器はないので、コメは鍋で炊いていた。インディカ米をたっぷりのお湯でゆでて炊く方法を覚えたら、早いし洗い物も楽だし一石二鳥であった。バスルームには立派なバスタブはあってもシャワーがないという、ものの本で読んでいたイギリス名物の代物で、体を洗って汚れたお湯に浸かった体をそのまま拭いておしまいというのは、日本人だと気持ち悪い人がいるかもしれない。大家さんは自分ではパソコンを使わないが、下宿人のためにワイヤレスでインターネットを使えるようにしており、大変助かった。
 
で、英語の表現なのですが、日本語の「大家さん」=「家主」に相当する言葉は英語にはないらしく、家主=地主であるのが普通なので、landlord(特に女性の場合はlandlady)であるそうな。私の大家さんであるところの老婦人は、「大仰にきこえるけれど(It sounds grand)」、とそのように教えてくれた。
 
いっぽう、私、つまり下宿人のほうは、lodgerという。lodgeという名詞は小屋という意味で、同じ意味で日本語でもカタカナ語として使う。一方、動詞としては、lodgingという現在名詞形で一般的に宿泊という意味で使うことは知っていたが、辞書によると、その複数形のlodgingsが特に「下宿、貸し間」を意味するらしい。
 
大家さんの両親は、お母さんがlandlordの娘、お父さんがlodgerだったそうである。『めぞん一刻』ですね(響子さんはlandlordの義理の娘である未亡人なので、ちょっと違うが)。
 
私の観察では、大家さんの暮らし向きは、階級社会であるイギリスの中では、中流の下(lower middle)ぐらいではないかと思われた。そもそも下宿人を置いて、生活費の足しにしようというのであるから、上流階級でないのは明らかである。もちろん使用人などいるはずもなく、庭の草刈りやら庭木の剪定(なんとチェーンソーを自分で使用!)やらの家の管理、車のタイヤの空気圧の調整に至るまですべて自分でしていた。 以前南米からきた下宿人に、なぜ召使いにやらせないのか、と不思議がられたと大家さんは苦笑していた。家の電気配線関係に故障が生じたときはさすがに自分では対処できなかったが、修理を業者に頼むことはせず、今は独立して別に家庭を持っている(しかし、日帰りで訪問可能なロンドン市内に住んでいる)息子に頼んでいた。草刈りや剪定だって息子に頼めないこともないだろうに、家族であっても安易に頼ることなく自分でできることは可能な限り自分でするという、イギリス人の(おそらく多くの欧米人に共通する)強靭な独立心・個人主義を感じた。
 
 
 
ラベル:ヨーロッパ
posted by なまはんか at 06:36| ロンドン生活 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする