2011年12月07日

柴谷篤弘

11月に人に聞いて柴谷篤弘先生が2011年3月に亡くなっていたことを知った。享年90歳だったという。東日本大震災の2週間ほど後だという。私の購読している地方紙には訃報が載っていたのだろうか?不覚にも気が付かなかった。
 
私より一回り以上の世代の人には有名だが、私と同じかそれ以下の世代では、生物学をやっていても柴谷さんのことを知らない人の方が多いのではないかと思う。私は科学論に興味があったので、学生の時に柴谷さんの著作をだいたい読んだ。一番おもしろいと思ったのは、構造主義生物学に関する一連の著作で、ソシュールの言語論と遺伝暗号の類似性に関する議論は、まさに目から鱗が落ちる思いがした。構造主義生物学を体系的に展開した論客というと池田清彦である。柴谷さんの議論は池田のそれにくらべると萌芽的だが、本質がはっきりしてわかりやすかった。私が学部生のころ、柴谷さんは京都精華大学の学長をされていて、京大の大学祭の講演会に来られたことがあった。講演会の後の懇親会の席で親しくお話をさせて頂き、後日絶版のため入手できなかった『構造主義生物学原論』を送っていただいた。京大新聞に私が書いた記事(「構造主義生物学」の研究プログラムとしての欠点を指摘)は、「私もすでにそのことは指摘している」と一蹴されたが、研究者をしている今ならその反応も理解できる。
 
大学院に進んで研究室で話をしていて、尊敬できる学者はだれかという話になった。私より1学年上で、サラワクの熱帯林を研究していたMさんはAshtonさんをあげた。私が柴谷さんの名前をあげると、数理生態学のH教授に、あの人は尊敬できないと言われたので、びっくりした。構造主義生物学関係の研究会での司会のしかたが、議論を避けるような感じで、感心しなかったというような趣旨だったように記憶する。そのMさんもH教授も柴谷先生も亡くなられた。
 
晩年柴谷さんは生態学へ接近され、今西錦司や遡上回遊魚が物質循環に果たす役割などに興味を持たれていた。ただし、構造主義生物学と生態学のかかわりは薄い。しかし、生物学が物理学・化学に還元されることはない(ラプラスの悪魔は存在しえない)、という生物学の究極的な意義は、まさに構造主義生物学的見地に見いだされる、と私は考えている。
ラベル:生物学
posted by なまはんか at 04:57| 覚え書き | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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