2011年11月15日

私の感じた人種差別

ケニア人を父に持つオバマ大統領が象徴するように、現在のアメリカには建前上は人種差別はない。むしろ、積極的に人種差別をなくそうと努力をしている。https://vegetation.seesaa.net/article/a6412375.html
アジア人の私がふだん生活していても、自分が人種差別されていると感じることはほとんどなかった。しいて言うと以下のような出来事があった。あくまで私がそう感じた、ということであり、下に黒人とかイタリア系とか書いているが、これら私の個人的感想からアメリカの一般的な傾向を判断することはもちろんできない。
 
ほとんど唯一といっていい、差別的発言を受けた経験は、アメリカ南部テネシー州のグレートスモーキーの登山口の町、Pigeon Forgeでのことだった。登山口にある観光案内所のような場所で駐車場の周囲の植物を観察していたとき、私に向かって「Chinese!」と叫ぶ声を聞いた。まわりに私のほかにアジア人はいなかったので、私が言われているのだろうと思い、声のした方をみると、黒人の女の子が憎々しげに私のほうを見ているのだった。年のころはまだ10歳ぐらいと思われた。私はそのままその場を離れた。言うまでもなく、アメリカの南部では戦後まで有色人種(特に黒人)差別が公然と(合法的に)行われていた。ブルーハーツの名曲の一節「・・・弱い者たちが夕暮れ、さらに弱いものを叩く・・・」を思い出した事件であった。
 
大学のカフェテリアでピザを頼もうと思ったのだが、何といって頼んだらよいかわからない。スライスした大きなピザが入ったショーウィンドーの向こうには、白衣を着たイタリア系に見える若い白人男性が立っている。マレーシアでやるように指をさして、「This one」というと、「How much do you like?」ときた。「One」というと、「Do you like the whole one or one slice?」と露骨にいやそうな顔をして言うのだった。大学のカフェテリアで巨大な1枚のピザ全部を頼むやつがいるわけないだろうと思ってこちらもいやな気分になったが、「One slice」と言ってやっと買うことができた。イタリア系のアメリカ人がやっている町のピザ屋でも同じように、こちらが下手な英語をしゃべると明らかにいやそうな対応をされたことがある。アメリカは英語さえしゃべれればどうにかなるという側面があるが、その英語がろくにしゃべればないと大変苦労することになる。最近はヒスパニックが増えてきているので、いろんなところでスペイン語表記が増えつつある。大学周辺では中国語の新聞やビラのボックスをよく目にする。
 
特定の職業と人種の結びつきが目についた。これは必ずしも差別ということではないかもしれない。社会構造の問題といったらよいのか・・・直感的には国際経済における南北問題みたいなものかな、と思う。マレーシア・サバ州でも中国系・インド系は町に住み、もっぱら商業・サービス業に従事しているが、田舎に行くと先住民族しかいない。アメリカで私が気づいたのは、たとえば以下のような例である。アメリカ生態学会の年次大会には黒人がほとんどいなかった(東アジア系はそこそこいる)。大学構内でも黒人はほとんど見かけなかった(アジア人のほうがずっと多い)。大学周辺のタクシードライバーはほとんど黒人だった(一度だけモロッコ人移民ドライバーのタクシーに乗った)。私が止まったモーテルの受付にはインド系が多かった。
 
後記:加藤則芳「メインの森をめざして」によると、アメリカ生態学会と同じように、アパラチアン・トレイルを歩いているのもほとんど白人、たまに日本人、韓国人がいる程度。4月3日から10月6日まで出会ったハイカーの中で黒人は一人しか出てこない(577ページ)。しかもスルーハイカー(全行程踏破者)にたまたま同行していただけの人。
ラベル:北アメリカ
posted by なまはんか at 03:41| ボストン生活 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする