2011年11月12日

林芙美子とボルネオ

桐野夏生『ナニカアル』(新潮社、2010年)を読んだ。週刊新潮に2008~2009年連載されていたらしい。そう言われると見かけたような気もするが、連載小説を読む習慣がないので、当時読んだ記憶はない。戦時中の林芙美子の従軍作家としての南方行を題材にしている。意外なことに舞台は『浮雲』のベトナムではなく、シンガポール(当時は昭南といった)とインドネシアである。インドネシアでは、スマトラとバリにも行ったことになっているが、ジャワと南ボルネオ(現在のインドネシア領カリマンタン)が主な舞台となっている。
 
小説なのでどこまで史実に基づくか定かでないが、南ボルネオではバンジェルマシンに行き、現地の日本紙『ボルネオ新聞』を手伝ったということになっている。バンジェルマシン(当時はバンジェルと略して呼ばれもしたらしい)は、今ではバンジャルマシン(Banjarmasin)と呼ばれており、インドネシア、南カリマンタン州の州都である。
来てみれば、バンジェルマシンも、昭南やジャカルタと同様だった。水道もない田舎だというのに、占領地には、様々な日本人が職を求めて、内地からやって来る。私と座談することになっている若い女性たちも、タイピストや事務員として、ここの民政部にやってきた・・・・また、南方には古くから住み着いて事業をしている邦人も多かった。金原藍子の家のように成功した日本人は、大勢の使用人に囲まれ、便利で美しい西洋式の住宅に住んでいる。(217ページ)
 
もし日本が戦争に負けたならば、日本人の農園主や商人は、ボルネオから追放されて、宏壮な屋敷も富を生む商売もすべて失い、命からがら逃げだすことになるだろう。どころか、命があるかどうかもわからないのだった。戦前に移住し、殖産に精を出してきた藍子の父親は、どう考えているのだろう。(225ページ)
 
「・・・私たち『復帰邦人』なんですよ。たった一カ月間だけ、内地にいて」・・・
「復帰邦人」とは、海外で商売や農園経営をしていて、戦争で一時帰国した後、軍が攻め取ったその地に再び帰還した日本人のことを言うのだ。(226ページ)
 
「・・・ここにいる僕らの家は皆、農園経営ですから、帰国を拒んだのです。一度仕事から離れれば、農園は荒れて元に戻すのに時間がかかる。それで、蘭印の官憲に捕まり、オーストラリア送りになったのですよ。年寄りの中には、船倉に閉じ込められて、病死した人もいます。・・・」(226ページ)
 
「オーストラリアで、男女別れて収容されました。家族はばらばらになって、別々の収容所で半年暮らしたんですの。その後は、ロレンソ・マルケスというアフリカにあるポルトガル領まで送られて、交換船で帰国しました。」(226~7ページ)
 
「・・・今や占領地ですから、今度は殖産興業に当たれと帰されたんです。父は半年以上もの荒廃を埋めるために必死ですよ。」・・・私は藍子の父親を見た。農民のごつごつした手を持つ父親は、居場所をなくした人のように上の空で、暗い夜空の彼方に目を遣っている。(227ページ)
 
石油、鉱山資源、ゴムなどを求めて増え続ける邦人に、現地の新聞は好評だった。四月(注:昭和18年)にはバリクパパンで、ボルネオ新聞東部版を出すことも決まった。(233ページ)
同じボルネオ島にあるマレーシア、サバ州のタワウには、窪田、久原、山本など日本人の名前を冠した「通り」名が残る(望月雅彦『ボルネオに渡った沖縄の漁夫と女工』ヤシの実ブックス、17ページ)。日本人墓地もあるそうだ。バンジャルマシンやバリクパパンではどうだろうか?なお、バリクパパンは東カリマンタンの州都サマリンダに近い港湾・工業都市(石油が出る)で、人口はサマリンダと同じぐらいだが、なぜか空港はバリクパパンの方が大きい。
 
『ボルネオに渡った沖縄の漁夫と女工』には、タワウ在留邦人のオーストラリア抑留の顛末が記されている。開戦翌日からオランダ人士官とオランダ領現地人兵によって「拉致」され、ジャワ島を経由してオーストラリアに移送されるまで、婦女暴行を含む非人道的な暴虐行為が繰り返された、とされている(タワウで拉致されたのは男性だけだったが、他地域からは婦女子も拉致されたらしい)。オーストラリアにおける抑留地はアデレード北方内陸のラブディ。タワウで「拉致」された邦人204名のうち、3名が抑留地で死亡、抑留後タワウに戻った「復帰邦人」は133名だったという。捕虜交換が行われたロレンソ・マルケスとは、現在モザンビークの首都となっているマプートのことらしい。
 
『ナニカアル』の巻末には参考文献がリストされている。その中に望月雅彦『林芙美子とボルネオ』(ヤシの実ブックス)がある。ネットで調べると、林芙美子はボルネオには行ったが、ベトナムに行ったことはないという衝撃的な内容のようだ。『浮雲』で書かれているベトナムは、林芙美子が実際に行ったことがあるパリ(インドネシアのバリ島ではなくベトナム宗主国だったフランスの)やボルネオの経験と、文献や伝聞に基づくものであるらしい。『浮雲』の主人公幸田ゆき子は、農林省から派遣される5人のタイピストの一人としてベトナム(当時は仏印といった)に渡ることになっている。まるで現地で見てきたかのような、でも文献に基づいて書いただけのようにも見える『浮雲』の一節はこちら。https://vegetation.seesaa.net/article/a8167688.html
 
桐野夏生という名前だけでは男か女かわからない。以前『柔らかな頬』という小説を読み、母の子を思う心情が強烈に書かれているのを見て、これを書ける男はいるだろうかとは思っていた。先日新聞に写真が載っていて、やはり女性であった。本書の奥付によると読みは「なつき」でなく、「なつお」なので、むしろ男の名前に聞こえる。
ラベル:小説
posted by なまはんか at 05:22| 覚え書き | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする