2016年01月19日

なぜconiferを針葉樹というのか?

日本では、coniferのことを針葉樹といい、coniferous forestのことを針葉樹林という。
本来なら、針葉樹はneedle-leaved treeであり、針葉樹林はneedle-leaved forestである。
どのような経緯があるのだろうか?

内務省山林局『山林叢書. 第14巻』(1879年=明治12年)の「海松(ピニース・ピナストル)」の説明には、「針葉樹中脂を多く流出するの第一とす」とあり、すでに分類群として「針葉樹」という用語が存在したことを示す。球果のことは「松毬」と呼んでいる。

本多静六の著書を見ると、1899年の『提要造林学』にすでに「針葉樹林」と「針葉林木」という用語がある。

1901年には『造林學各論. 第1編(針葉林木及竹類椰子類篇)』が出版されている。
その巻末には「分科系投表」があり、Coniferiaeを「松柏植物」とし、「又針葉樹、単葉にして針状若しくは鱗状稀に広葉をなす」と説明がある。「松柏植物」はさらに「松科」と「一位科」に二分され、前者では「多肉の果皮を有せざる種子にして数多の鱗片からなる毬果内に生ず」るのに対し、後者では「多肉の果皮を有する単果実状の種子を生ず」る。
ラベル:生物学
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2016年01月18日

なぜconiferを球果植物というのか?

coniferのことを球果植物というが、どうしてなのか不思議である。
coneを持つからconiferなのだが、英語からわかるようにconeとは円錐のことであり、球のことではない。

アイスクリームのあれとか、工事現場に置いてあるあれですね。

なので、coneを直訳すれば「円錐果」となる。
だれが、最初にconeを「球果」と訳したのだろうか?

江戸時代の本草学者宇田川榕庵(1798-1846)は、その著書『植学啓原』(1834年)でリンネの分類体系を日本に紹介し、多くの植物学の術語を作った。しかし、彼が球果について参考にした本(ショメール『家政百科事典』オランダ語版)にはconusをcomusとする誤植があったそう(『宇田川榕庵植物学資料の研究』)で、そのせいか「檜果」という表現を用いている。本草学者伊藤圭介(1803-1901、後に理学博士、東京大学教授)が監修し、松村任三(1856-1928、当時東京大学矢田部教授の助手、後に教授)が著した『植物小学』(1881年)でも「檜果」が用いられている。

明治10年に創設された東京大学の初代植物学教授矢田部良吉(1851-1899)は、留学先のアメリカで師事したグレイの著作を翻訳して『植物通解』(1883年=明治16年)として出版し、その中でconeを「毬果」と訳している。

1886『植物学語鈔』松村任三著,丸善商社ではconeは「毬果」とされている。
1891『植物学字彙』大久保三郎ら編,丸善商社でも、cone、conusは「毬果」とされている。
1893『植物学教科書』松村任三著では「鱗穂」が用いられている。

「球果」という術語は、1899『近世植物学教科書』(初版)大渡忠太郎著、松村任三校閲,大阪開成館に確認できる。

日本製の植物学用語は20世紀初頭の短い数年間に,留日学生の編訳書を介してどんどん中国に移入されたという(http://www.urayasu.meikai.ac.jp/japanese/meikainihongo/7/Zhu.pdf#search='%E6%A4%8D%E5%AD%A6%E5%95%93%E5%8E%9F')。1903-1918年の間に中国で出版された植物学書に見られる日本製用語には「球果」はあるが、「毬果」はない。

ラベル:生物学
posted by なまはんか at 22:24| 覚え書き | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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